皆さんはこんな人と友達になれますか?

  • 2020.04.15 Wednesday
  • 15:28

 

 皆さんは次のような人と友達になれますか? もし隣人がそうだったらどうしますか?

 

1、1程度のことを、100程度のことのように大げさに騒ぎ立てる人。ちょっとした事でも人前で泣き叫ぶ人。

(針小棒大)

 

2、1月前の約束を守ってもらおうと話しに来た人に、その人の1年前のミス(出来事)など別の問題を持ち出し自分の約束の実行の問題から話をそらそうとする人。集団の中で自分の立場が悪くなった時、集団の別の関心事や話題を次々持ち出して、その時の主題から巧みに話をそらし自分の立場を守ろうする人。

(論点のすり替え )

 

3、きっぱりと約束、確認したはずなのに、後日さらに有利な条件を得ようと話を蒸し返す人。話し合いでこれだけでOK、解決!と言っていたのに、結果に身内が満足しなかったと更なる要求を持ち出す人。

(ゴールポストの移動)

 

4、自分の行為が非難されているのにかかわらず、何かと理屈をつけ自分は被害者という立場を取ろうとする人。

(被害者ポジション)

 

5、自分の行為と他人の行為で評価の基準が異なる人、お互い同じことをしているのに、自分の行為は棚に上げ相手の行為を非難できる人。

( ダブルスタンダード)

 

6、他人との間でトラブルが生じた場合、自ら主体的にそのトラブルの解決のための行動する前に、周辺の人に自分の方の正当性を訴えたり、関係のない第3者をそのトラブルに巻き込もうとする人。

(第3者の圧力利用 と そのための宣伝活動)

 

 以上の6項目の内、1,2項目でも友達としてどうかと思いますよね。全部あったら「言葉が巧みなだけのずる賢い人間」か「人間性に問題のある欠陥人間」ではないでしょうか。

 

 もし、皆さんがこのような人と遭遇した場合、又はニュースで見た場合、その人の1つ1つの言動について

 

 「1、小事を大げさに言ってないか

 「2、論点のすり替えではないか

 「3、ゴールポストの移動ではないか

 「4、被害者ポジションを取ろうとしてないか

 「5、ダブルスタンダードではないか

 「6、関係ない第3者を巻き込もうとしてないか

 

 のどれに当たるか分析してみることをお勧めします。

 特に、「某国の要人」が「日本について」語る時注意しましょう。1〜6のどれかに当たることがほとんどのようです。

近大宮澤教授の新型コロナウイルス感染症対策講座「感染症の時代を生きる」を見ましょう

  • 2020.04.15 Wednesday
  • 08:22

JUGEMテーマ:社会の出来事

 近畿大学医学部の宮澤正顕教授の新入生向け新型コロナウイルス感染症予防対策の講義内容が公開されています。とても優しく分かりやすい講義です。是非一度ご覧頂き感染予防の参考にして下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=aD_vMFWUf8Y

ああー!新コロナウイルス感染症 やっと納得、PCR検査の数の少なさ

  • 2020.03.20 Friday
  • 11:05

JUGEMテーマ:社会の出来事

 

 この感染症に対する厚労省の取り組みについて一つの大きな疑問を持ち続けていました。それはこのウイルスに感染しているかどうかを調べるPCR検査の数が圧倒的に少ないことです。最初は検査できる体制が出来てないからだろうと思っていました。

 

 テレビのワイドショウにに招かれた専門家(?)やコメンテーターは当局の不備を攻め、「増やせ!増やせ!」のオンパレードでした。

 私も、当初日本はいつから医療の三流国になったのかと思いました。いや、平時は立派でも危機管理が出来ていないんだと自分を納得させようとした時期もありました。

 

 「なぜ少ない? なぜ少ない?」どうしてもこの疑問から抜け出せないので、自分で調べてみようと思いました。私が取れる手段はSNSしかありません。SNSの投稿は半分はウソと理解しながら、街中で日々診療にあたっている医師のPCR検査について真面目に解説している投稿を見つけました。

 

 中身を簡単に説明すると、おおよそこういうことのようです。

 医療における検査には

 

     〇 感 度(調べた感染者を正しく感染している(陽性)と判定する度合い)と

     〇 特異度(感染していない人を正しく感染していない(陰性)と判定する度合い)というものがあり

 

 今話題のPCR検査は

     〇 感 度 70%(50%という医者もいる)

     〇 特異度 90%             ということでした。

 

 ということは、検査した感染している人30%の人が「陰性」と判定され、感染してない人10%の人が「陽性」と判定される恐れがあり、スクリーニング検査(集団の中から特定の病気が疑われる人を選び出す検査)には使えないものとの説明でした。

 30%の患者(感染者)を見逃し陰性のお墨付きを与え野に放し、10%の感染してない人を陽性と誤認し隔離してしまう恐れがあるということになります。市民の希望に応じ広くやるものでなく慎重な取り扱いが必要とのことでした。 

 

 この検査を使えるのは、症状のある人に風邪やインフルエンザ、その他同じ症状の感染症の有無を診察、検査して、それらの感染症でないことを確認した上で、新コロナウイルス感染症の検査すべきとのことです。そこで陽性と出れば新コロナウイルス感染症と判断できるとのことです。このようにこの検査は病気(新コロナウイルス感染症)の「確定検査」に使われるべきものであるとの説明でした。無駄な検査は無駄な入院患者を増やし医療崩壊の一因になりかねないようです。PCR検査一発で病気(感染の有無)を判定できるほどの精度の検査ではないようです。医師の判断の下での検査という政府の説明が理解できます。

 

 これを聞いてこの問題に対する疑問が解けました。

 ということは、イタリアや韓国等で実施されている、すべての希望する人にやっている「ドライブスルー検査」などは、むしろやってはいけない方法だということになります。

 残念ながらこれを持ち上げる政治家や学者やマスコミ関係者のなんと多いことか。こういった人たちは「PCR検査」で100%黒白がはっきりすると思っての議論しているようです。ワイドショウでも正しく言おうとする専門家もいますが、そんな人の声は慨して小さく、声の大きい人、センセーショナルなことをいう人の声にかき消されています。

 中には日本の検査数の少なさをある組織の利権が絡んでいるとか、誰かの陰謀と説明している専門家もいます。また、素人の私が当初いだいた疑問と全く同じ、日本は感染症の後進国と説明している専門家もいます。

 

 一部マスコミ、特にテレビのワイドショウに出ている一部の専門家(?)やコメンテーターの言葉に惑わされないよう注意しましょう。 だとすると、なぜ。厚労省、都道府県、大学医学部、医師会及び感染症研究所の心ある関係者、責任者は、国民に正しいことをもっと詳しく説明しようとしないのか、世間に流れる間違った情報を打ち消してくれないかと大きな義憤を感じます。私の見る限り市井のユーチューバーの中には丁寧に優しく説明している方がいますが、テレビにはほとんど存在しないようです。世間のから騒ぎに巻き込まれたくないのでしょうか。では、あのテレビに出ている専門家とは一体何者でしょうか?

 

 そういうことですので、こういった社会的危機に際しては、我々自身が、国民の側が、正しい知識の下で行われている行為か、単なる商業主義やポピュリズム(大衆迎合主義)か見極める力を養う事が大事になって来ます。。

 特に政治の世界ではこの場に及んでも自分の不勉強は棚に上げ政治的対立の具にした発言が目立ちます。また、国政に携わる政治家や地方を預かる知事や市長等のこの問題に関する言動には、平時では分からないリーダーとしての「姿勢」の差、「資質」の差がはっきり出ているように思えます。

 再度言います。一部の危機を煽るかのような発言に惑わされちゃいけません。東北大震災の時、悲しみの中冷静さを失わず騒動を起こさなかった被災者の姿が世界の感動を呼びましたが、今回も国民一人一人が冷静に判断、行動しパニックにならないようにしましょう。 以上です。

 

 (追伸) 私は医者でもなんでもなく一市民ですので解釈や表現に問題があるかもしれませんが、そこのとこはよろしくお願いします。間違いがあれば教えて下さい。

 また、この問題が終息した折りには、国や地方の対処の仕方は正しかったかに加え、あらゆる機会に誰が国民に正しく伝えたか、誰が間違った情報を流したかが厳しく検証されることを望みます。

 

 

 

「春の小川」復活ならずか?ー国立競技場建設の一側面

  • 2020.01.02 Thursday
  • 12:04

JUGEMテーマ:東京オリンピック(2020年開催)

 東京オリンピックを控て新国立競技場が早々に完成したことを皆さんと共に喜びたいと思います。

 

 ただ、いろいろあった競技場問題ですが、採用された設計者の構想に「杜の中の競技場」というコンセプトで「春の小川の復活」が語られていました。競技場の近くを流れ、昔童謡「春の小川」にうたわれた隠田川、前のオリンピックで暗渠(あんきょ、地下水路)化されてしまった隠田川を復活させ地上に川の流れを取り戻すと提案されていました。

 この件については、このブログ(さつませんだいよもすがら)に別に「隠田川の復活ー新国立競技場建設の一側面」というテーマで詳しく投稿してあります。

 その内容は次のURLをクリックすればご覧いただけます。 http://blog-kurage.jugem.jp/?eid=31

 

 これこそ50年間(2つのオリンピックの間)の日本の社会の変化、違いを表す素晴らしい話だと思い期待を持っていましたが、今だに出来たという話はなく、これからだという話も聞こえてきません。この件は建設工事の中でスルーされたのではないかなと心配しています。それであれば非常に残念なことだと思います。情報があれば教えてほしいと思っています。

#東京オリンピック #国立競技場 #杜の中の競技場 #設計コンセプト #唱歌春の小川 #渋谷川 #隠田川 #暗渠 #春の小川の復活 #渋谷川ルネッサンス

川内大綱引きの大綱の練り方は左綯い(ひだりない)・その訳は?

  • 2019.08.19 Monday
  • 14:51

JUGEMテーマ:まちづくり

 私どもは薩摩川内市において小さな陶芸工房を営んでいます。最近その作品の1つとして薩摩川内市ご当地キャラ「西郷つん」のオブジェを陶器で作ろうとしたとき、つんのリードの首輪は川内大綱引きの綱をイメージしたものと説明を受け、考えた大綱の練りについて申し述べてみたいと思います。

 

 ★普段私たちが使う縄は「右ない」右上がりです。

(右ない・・縄を水平にしてみた場合練りの線が右上がりになる。右利きの人が手で縄をなえば普通こうなり

 ます。)

 

 ★川内大綱引きの綱は「左ない」右下がりです。

(左ない・・同じく練りの線が右下がりになります。)

 

 これはなぜなんだろうと考えた時、最初、大綱の材料の稲わらでできた荒縄は「右ない」であり、それを束ねた3つの束を練って作ることから、丈夫で締まった綱を作るため荒縄が緩まない方へ練る「技術的問題」だろうと思いましたが、ある方から「大綱はしめ縄の練りと同じにしているのだ」と説明を受けました。確かに、しめ縄の写真を見ると「右下がり」のようです。そういえば大綱引きは神事から始まることを考えるとそうなんだろうと思いました。

 意図してそうなったのか、結果としてそうなったのかもう一つ分かりません。この件に関し更に詳しい方がいらっしゃれば説明願えないかと思う次第です。

 下の写真、大綱は練りの線が右下がり、一本一本の荒縄は右上がりだということが分かります。

  

国民性の違い・・諺(ことわざ)にはっきり出ている。

  • 2019.08.13 Tuesday
  • 02:50

JUGEMテーマ:社会の出来事

 某国の諺に「泣く子は餅が一つ多くもらえる」がある。これに類する日本の諺は「泣く子と地頭には勝てぬ」である。

 まずこの2つの諺の主語が違うことに気づく。某国は「泣く子」が主語であり、日本は「泣く子の周りの人」である。

 某国の場合、泣けば餅がもらえる。具体的利益があると言っている。

 最近の報道の中で某国の政府や一部国民が、いろんな事例で1の事を100の事かのように騒ぎ立てたり、事件事故の被害者等が泣き叫ぶ様子を見ると、この諺が頭を過ぎる。

 

 次に「溺れる犬は棒でたたけ」というのがある。これに類する日本の諺は「窮鳥懐に入れば猟師これを殺さず」となるのだろうか?

 下手に手を出すと、助けようとすると自分も巻き込まれるぞという戒めだと聞く。

 某国の歴代大統領の末路しかり、力を失ったり、失敗をした人に対する社会の異常なまでの攻撃や糾弾の様子を見るにつけこの諺を思い出す。何故ほっとくだけでなくたたく必要があるのか日本人には理解できない。

 

 日本に住み日本のテレビによく出演している某国人解説者が「某国人は出会ったとき相手より深く頭を下げない。相手より深く頭を下げることは相手を自分より上位だと認めることになる」と話していた。

 日本には「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という句ある。これを座右の銘とする人も少なくない。「稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振舞うものだ」という意味である。小人物ほど尊大に振舞うって‥あの人のことかと思ってしまう。

 

 「泣く子と地頭」にしろ、「窮鳥懐に」にしろ、「実るほど頭を垂れる」にしろ私たちの心にストンと落ちる。「ああ! 自分は日本人なんだ!!」という思いを深くする。「泣く子は餅」、「溺れる犬」、「頭を深く下げない」を聞くと何なんだこの人たちと思ってしまう。

 

 以上の3点からだけでも某国人と日本人は、考え、心情、言動を異にする国民性の全く違った民族であることが分かる。政治家を中心として某国に日本人的な考えで接してきた多くの過去の事例が如何に彼らに日本や日本人に対する間違った概念や言動を生んできたかと危惧している。

 某国と関係する人に訴えたい。相手をよく知って対応してほしい。価値観が同じでないと「思いやりや誠意」は通じない、まして「思いやりや誠意」には「思いやりや誠意』が返ってくると期待してはいけないようである。「○○に配慮して△△」というやり方も気を付けなければならない。「〇〇を持ち出せば日本人は配慮する」と彼らの目には映るのではないか。日本人の常識は通用しない。

 日本人的甘い考えによる言動は、これまでそうであったように、意図した目的からかけ離れ彼らに都合よく記憶され、次の交渉のいい材料、両国間に問題が生じた時のカードとして利用されかねない。

 彼らは日本人の態度が「甘くなるもの」、「弱くなるもの」、「委縮するもの」、「卑屈になるもの]はなにか、そこに重大な関心をもって見ている。

 令和の新時代を迎えた日本、戦後の70年の過去を反省し(それこそ過去の歴史を反省し)、将来に禍根を残さないよう事実の積み重ねのみで対処すべきと考える。

 

 

 

 

 

 

焼き締めの茶香炉

  • 2018.05.06 Sunday
  • 15:39

JUGEMテーマ:陶芸

 陶芸工房海月の作品の内、皆さまに好評で制作数の最も多い作品は「焼き締めの茶香炉」です。

 

 「あなたのお部屋をお茶やハーブの香りで安らぎの空間に!」

 皆さんも陶芸工房海月が自信をもってお勧めする「焼き締めの茶香炉」を1つ如何でしょうか。

「陶芸工房海月ネットショップ」がオープンしました。

  • 2018.03.05 Monday
  • 00:29

JUGEMテーマ:陶芸

 元スマップの「香取慎吾」さんがCM出演しているネットショップカート「BASE」を使って「陶芸工房海月ネットショップ」が開店しました。併せてホームページ「陶芸工房海月」からもネットショップにアクセスできるようにしました。

  http://tougei-kurage.ciao.jp/?page_id=1679

ニガタケのタケノコ・・苦い物と美味しい物の違いは?

  • 2017.09.18 Monday
  • 15:41

 

「ニガタケ」とは方言で、そのタケノコが苦くて食べられないことに由来していることは容易に推測できる。

 鹿児島県本土の野山や河原に生息しているニガタケの主たる種はこの食べられない「メダケ」である。

 ところが姿形が同じで一見して見分けがつかない同じメダケ属の竹(分類学的には笹)に「リュウキュウチク」と「カンザンチク」があり、これらのタケノコは食べられしかも美味しいということである。

 「リュウキュウチク」は南西諸島にひろく分布している。「カンザンチク」は鹿児島で「ダイミョウダケ」又は「デメダケ」と呼ばれ美味しさは最高クラスとのことである。

 種子島では「リュウキュウチク」「ダイミョウダケ」両方あるという情報を聞いた。三島村では「大名ダケ」という名のタケノコが収穫され本土に向けて販売されているということである。

 タケノコが苦くて食べられないことから付いた名であるが、姿形が似ている「リュウキュウチク」や「カンザンチク」まで含め「ニガタケ」と呼ばれるようになったようである。

 写真は我が家の近くに繁るメダケ,タケノコが苦い本物のニガタケ「メダケ」である。どんな苦みか試しにタケノコの柔らかいところをかじってみた。

 「なるほど!苦い!」 この苦味を表現するのは難しいが「山菜とならない植物の若葉が持っている苦さそのもの」とここでは表現しておきたい。

 

 

 

「焼き締めの茶香炉」・・ふるさと納税返礼品に

  • 2017.09.15 Friday
  • 15:03

JUGEMテーマ:陶芸

 陶芸工房海月の「焼き締めの茶香炉」が9月に薩摩川内市ふるさと納税返礼品の1つに登録されました。

 早速神奈川県から注文があり搬送しました。

 返礼品として、特産品の美味しい食べ物もいいですが、ふるさと納税の記念として、あなたのお部屋に癒しと安らぎをもたらし、かつオブジェとしても可愛い「焼き締めの茶香炉」はいかがですか。

 写真は陶芸工房海月の「焼き締めの茶香炉](ネット販売価格3,800円)です。

 

 

甑島島民の種子島移住(明治時代)について

  • 2017.07.15 Saturday
  • 17:37

〇 甑島は薩摩半島の西方の東シナ海に浮かぶ離島です。薩摩川内市に合併する以前は4つの村が存在していました。明治時代に飢饉があり多くの島民が県内各地へ移住をしています。
 ここでは旧甑4村の「村誌」および種子島の資料(主に県立種子島高校の「種子島研究」)から種子島移住に係る記録の一部を紹介したいと思います。

〇 甑島では明治16年、17年、18年に害虫や台風による農作物被害が重なり飢饉に見舞われ島民の生活は悲惨な状況になりました。その状況はいろいろ記録されていますがここではそれには触れず窮民の救済対策を中心に述べていきたいと思います。

 

〇 甑島からの訴えもあり、この窮状を救うため県が主導し島民の甑島から県内各地への移住を進めました。その移住先の中心が種子島だったようです。

 

〇 移住のため用意された予算は5万円、最初県は国に全額貸与を申し入れたが国県双方2万5千円の負担となったようです。当時は第1次伊藤博文内閣、内務卿山形有朋、農商務卿西郷従道、鹿児島県令渡辺千秋です。

 

〇 種子島への移住計画は500戸、2000人でおおよそ計画どおりの人数が移住しています。(なお、大正3年の桜島の大爆発による桜島からの種子島移住も2000人を超えています。)

 

〇 移住第1回第1陣は124戸569人で、明治19年5月14日下甑手打港を出発しています。港では出発する人、見送る人でごった返す中、乗船直前に船に乗るのを取り止めた人もいたようです。

 

〇 移住に使われた船は、5チョウダチ(5丁櫓)和船14艘で、3艘ずつロープで横につなぎ風がある時は帆を張り、風のない時は櫓を漕いで航行したとあります。


到着したのは16日で、
・第1日目の航行は 甑島から  ⇒ 坊津港(薩摩半島西南端)まで
・第2日目の航行は 坊津港から ⇒ 山川港(薩摩半島東南端)まで
・第3日目の航行は 山川港から ⇒ 種子島まで
3日がかりの和船の旅でした。

  

 

〇 続いて4日後の5月20日には、第1回第2陣407人が種子島に到着しています。

 

〇 到着した時、移住者のほとんどが疲れと船酔いで動くことができなかったようですが、翌日には迎えに来ていた世話人や移住事務所の人たちの案内で割り当てられた地域に向かって山道を歩いたとのことです。

 

〇 翌20年の移住は上甑(中甑、平良)が中心となっています。〇種子島の西之表に移住事務所、中種子野間と南種子茎永にはその出張所が置かれ、移住先の近くの集落には世話人が設けられていました。

 

〇 移住地には近辺の住民によって移住者のための住まいが準備されていました。当初の19年は4棟、7棟、8棟の長屋方式掘立小屋で、屋根は茅葺(カヤブキ)、壁も茅、広さは5坪で2坪の土間と3坪の床があり、床は竹を縄で編んでその上に藁(ワラ)を敷いていたとのこと。1年、2年すると自分で家を建て長屋を出ていく者が多かったということです。20年の移住者には伝染病と火災予防のため移住事務所によって1戸建ての掘立小屋が準備されたとあります。

 

〇 移住者には県から山鍬、鍬、鎌、斧、鋸、砥石等や種芋が支給され、炊事道具の外2年間に渡って米、食塩が支給されたようです。

 

〇 移住者に配分された開拓地は一戸当たり1町何反かでありましたが、開墾しただけ土地が与えられたようです。中には1町8反割り当てられた者もいたとあり移住先はほとんどが国有地で国有地払い下げだったようです。本土の移住先に移住した人の話が村誌に出ていましたが、開拓地には元々地主がおり開墾しても小作人としての農業だった。自ら開墾した農地が手に入ったのは終戦後の農地解放だったとのこと。その点では種子島への移住者は幸せだったと言えるかと思います。

 

〇 開墾に当たれる成人の数によって当初の開拓地の配分に増減があったため移住者には成人になったばかりの人間の数が急に多くなり、成人前の人間がいなくなったという話が種子島に伝わっています。土地の割り当てを受けるため成人前の人間を成人として登録したということです。

 

〇 ここでは移住の様子や入植して開墾が始まるまでの記録の一部を紹介しました。移住先のある集落で歌われている「移住数え歌」なるものがあります。ほとんどの歌詞が肉親との別れや故郷を離れる悲しみと入植地での開拓の労苦を歌ったものですが、9と11と15の段の歌詞を紹介してこの投稿の終わりたいと思います。

 

(9の段)
ここのつとのーおよのーおおえー
事のわからん子供しが種子島行チヨテ言うたれば
喜びじゃいなー

(11の段)
じゅういちとのーおよのーおおえー
一度来てみた種子島人のこころもよいところ
うれしいわいなー

(15の段)
じゅうごとのーおよのーおおえー
御無礼ながら御上様地面の割当てして給る
有難うじゃいなー

 

(雑感)
〇 この甑島島民の種子島移住は、明治の代になって20年に満たないころ、鹿児島の離島で起きた飢饉飢餓を救済するために県が主導し、国の支援を受けて計画実施した出来事でした。
 近辺の国で、近年になっても国民が飢餓に陥り多くの餓死者を出したニュースや、他事に心を奪われ対策らしい対策を取らない政府の話が度々伝えられてきました。
 これに対し、はるか百数十年昔のわが国においては、国の片隅の1離島で起こった飢饉飢餓に真っ向から取り組み窮民の救済が図られました。
 この問題に対処した我が国の地方(県)と中央政府(国)の在り様に大きな誇りを感じます。
 東北大震災の時、被災者がパニックにならず騒動を起こさなかったことが諸外国で関心を呼んでいますが、国民一般に「災害が起こっても、一時辛抱すれば必ず ○ ○ ○ 、必ず***」という所属する社会への絶大なる信頼感が根底にあると思わざるを得ません。

 

(追記)
〇 ところで、移住に使われた船について旧下甑村の村誌に5チョウダチ(5丁櫓)巾2m長さ9mとあり、旧鹿島村の村誌には漁船と記述があります。普段は何処に所属し何漁に使われていた船か、船頭はどういう人たちなのか情報はありません。ただ薩摩半島では古くから大きな木造和船が作られ漁労や人や物資の運搬に使われていたようで、そういった船がこの事業のため徴発されたものと思われます。

 

〇 下の写真は平成19年に薩摩川内市高江町で建造され市歴史資料館の正門横に展示されている5丁櫓和船(幅2.4m長さ8.2m)です。この船は漁業用ということで木造和船造りの文化の伝承のため再現されました。「帆柱」を立てる場所があり「舵」を備えています。明治の移住船もおおよそこの船に近い形、大きさだったのではないでしょうか。

街路樹が泣いている

  • 2017.07.01 Saturday
  • 11:50

JUGEMテーマ:まちづくり

 最近、ある所で「エーうそだろう!」「そんなバカな!」と思える光景に出くわしました。
 これに驚くのは私一人なのかどうか確かめたくてブログを書くことにしました。
 それは大きな通りに植栽され、まだ十分に育っているともいえないケヤキ並木の枝の上半分が切り取られていることです。 blog-kurage 街路樹 さつませんだいよもすがら

 このケヤキが植えられたとき、この街の緑化にもケヤキを使うようになったんだ!と感じたことを思い出します。というのも、ケヤキ並木との最初の出会いは仕事で久留米市を訪れたときでした。駅広場から続く通りに樹高の高いケヤキの並木が続いていました。この並木が街の第一印象を形づくりいい感じだなと思いました。
 その木々の姿は、希望に満ちた若者たちがせいいっぱい両手を空に向けて広げている姿に見えました。

 また、久留米市でもう一つ印象深かったのは別の通りのケヤキでした。「この並木は歩道に植えられているものではありません。工場の敷地内の道路側境界に工場が植えたものが道路の並木のような状態に育ったものです。」という説明でした。さすが一流企業は違うなと思いました。

 次に上京した時、表参道を通る機会がありました。 あ! あのケヤキだ、ここは又すごい、説明によると戦争時の空襲を逃れ生き残ったものもあるとのこと、並木あっての表参道、ここは並木の方が古くしゃれた多くの店々が並木に寄り添っている感じでした。 

 ケヤキは落葉で、このころまで南九州では見かけない木でした。南九州では育たないんだろうと思っていました。 それを見事に覆してくれたのが鹿児島市でした。

 鹿児島市では、それ以前の昭和50年代にグリーンストーム作戦という緑化運動が大々的に展開されています。
 当時をリードした市の幹部は、講演で、今ではまちづくりにそのまちの「自然」や「歴史」を生かすなどまちづくりの手法の研究が進み、多くの事例も見られるようになったが、当時の鹿児島市で、市職員が集まりいかに住みよい潤いのあるまちにするかを討議した。しかし、何回やっても「緑を増やす」しか出てこなかった。これがグリーンストーム作戦へつながった。と話しておられました。そのころ植えられた樹種は楠とつつじが多く、現在の鹿児島市で楠とつつじが目立つのもこの名残と言えると思います。

 さらにいいなと思ったところは、市民との緑化に関する協力関係(ソフト対策)を築いたところです。この幹部の方は、緑がきれいなところは市民が管理している所で、汚いところは市が直接管理している所だと話しておられました。

 鹿児島市でケヤキを見かけるようになったのはそれから大分経ったころだと思います。グリーンストーム作戦の一環だったのか、その後の事業だったのか分かりませんが、中央公園や市役所通りにケヤキが植えられ、今ではそのケヤキが大きく成長し南九州でも立派に育つことを証明しました。



 


 他のまちでも鹿児島市に倣い街の緑化にケヤキを選択する事例が多くなってきましたが、樹種に合った植栽や管理が行われているかと言えば、残念ながら「否!」と言わざるを得ない事例が多いようです。
 今回の並木の枝の上半分の切り取りについても、最初台風の被害を受けた枝を剪定したのかと思いましたが、それにしても一線から上を切り取る今回のやり方はないと思いました。
 そもそもこの並木を植えた時この通りをどうイメージしたのでしょうか。久留米の駅通りや鹿児島の市役所通りなどのような通りになるようイメージしたのではないのでしょうか。それとも、道路工事の一環として一通り今流行りの物を植栽しただけなのでしょうか。植栽した人と後で管理を任された人の意識がバラバラのような気がします。

 東京の江戸川区では、高木の剪定は自然仕立てを原則とし、不定芽の原因となる「ぶつ切り」等は行わない、樹形の乱れを最小限にとどめる剪定にすること、必要以上の切断を行うことは一層の支障枝を生むだけでなく、美観を損なうので行ってはならない。との「指針」を設けるとともに、役所内に樹木剪定を評価する組織を設けているとのことです。

 また、熊本県は 街路樹管理に関する文書「街路樹管理の課題と考え方」を作成し、ネットで公開しています。
 わが県にも指針がないのか探しましたが見つかりません。取り敢えず各地の取り組みを参考にすべきです。この熊本県の文書を、街路を作る人も、管理する人も、管理を請け負う業者の方も、そして街路の周辺で生活する人も是非一度読んでほしいと思います。

 街路樹等の管理に第一線で当たる職員は住民の様々な要求に曝されるものです。「葉っぱが散れる」、「鳥が来てうるさい」、「看板が見えない」等々、職員はこれらの要求にどう答えるかが第一となり、街路樹は住民の苦情の対象となる厄介者となってしまいます。その結果は推して知るべしです。よく見かける街路樹のみじめな姿の元凶はここにあります。まず街路樹の役割を認識する事、そして街づくりに位置付け、第一線の職員が住民と対話できるように「街路樹管理の指針(マニュアル)」を作ることから始めるべきと思います。街路樹がまちづくりの主要な課題になるか、まちづくりの厄介者になるかはそのまち次第です。

 もうソロソロ、まちの玄関や、まちの顔である中心街に人の手によって作られた「奇形樹」を陳列するような行為を止めようではありませんか。

 あるまちづくり講演会での講師の言葉が思い出されます。並木の樹種選びは重要で、車道の広さ、歩道の広さ、周りの建物の高さとの関係をよく考えること、目先に利益や目先の利便性にとらわれず長期的視点に立つことなど記憶してますが、一番強く印象に残った言葉は講師が最後に言われた言葉です。

 まちにも人間と同じ「表情」がある。金を掛ければ一通りのまちはできるが、物理的なまちには「表情」がない。まちに「表情」を与えるのはそこに住む人々であり、そこに住む人々のまちに対する「思い」や「行動」である。
 「まちなみ」はそのまちのまちづくりの理念、思想、哲学を表現する。「まちなみ」にはそこに住む人の「心の豊さ」、「心の貧しさ」が現れる。

 枝を切られたケヤキは何を表現していると思いますか。
 もしケヤキに心があれば「こんな土地に選ばれたくなかった。こんな人々と関わりたくなかった。」と思っていると思いますがどうでしょう。
 皆さんのご意見を伺いたいと思います。
 

隠田川の復活ー新国立競技場建設の一側面

  • 2017.06.24 Saturday
  • 09:33

 いろいろ取沙汰された新国立競技場建設問題、日数も限られており東京オリンピック開催に向けて採用された計画案のスムーズな進行を願いたいと思います。  blog-kurage さつませんだいよもすがら

 採用された計画案の中に非常に興味深い内容が含まれていたのでここで述べてみたいと思います。それは、今回の「杜の中の競技場」というコンセプトで、競技場の東側を流れ、現在暗渠になっている、「隠田川(おんでんがわ)」の一部を復活させ地上に川の流れを取り戻すということです。

 ところで、「隠田川」は「渋谷川」の上流に当たります。この渋谷川はあの唱歌「春の小川」で歌われている川そのものですが、現在そのほとんどが暗渠化され、地下を流れており歌のイメージとは程遠い存在となっています。
 新聞記事では「50年前暗渠化された隠田川の一部を復活させ・・・」とあります。
 「え! 50年前!」 そうなんです。前の東京オリンピックの時この川は暗渠化されたということになります。
 
 当時の東京の環境事情は現在の中国に似ており、田舎者が東京に出向くと一日で喉が痛くなり、荒川や多摩川は生活排水で川自体が泡立ち、中小河川はドブ化していました。
 各国からのお客様の目を避けるため、交通事情の改善のための道路建設を名目にして、多くの小河川を暗渠化しドブ川を隠しました。国立競技場のすぐ近くを流れる隠田川、優先的に隠すべき川の一つだったと思います。

 前のオリンピックで隠したものを次のオリンピックでは表に引き出そうとしています。そこに半世紀(50年)の時の流れがあり、社会の変化があります。それがこのブログのテーマでもあります

 発展途上国で開催される国際的イベントでは、よく開催国に都合の悪い部分が隠されるということが良くあります。最近でも近隣の国でイベント当日だけスモッグがなく青空というのが恒例になっています。南米のある国ではでは浮浪児がイベント会場や通りから追い払われることがありました。
 これまでのオリンピックでも、ソウルでは犬肉料理の看板やメニューが隠され、北京ではみすぼらしい建物が膜で覆われ隠されました。50年前の東京で隠されたものはドブ川でした。

 あれから50年を経た東京は様相が全く違っています。汚水処理率99パーセント、完ぺきに近い汚水(下水)処理を実現しています。かつて洗剤で泡立っていた多摩川にはアユが上り、前面の海岸では海水浴が出来るほど水質が改善しました。
 前面の海域でトライアスロンの競技を行う案があります。通常の場合問題はないのですが競技日の前の数日に大雨(洪水)があった場合下水を含む雨水が流れ込み水質を確保できるかのかが懸念されているようです。

 新国立競技場建設に係る隠田川の復活も、渋谷駅周辺の再開発に係る渋谷川の復活も東京の水環境の改善あってのことだと思います。ただこの計画、採用された再検討案の中にあったというだけで実際に実現するかどうかは不明です。ぜひ実現してほしいと思っています。日本の首都東京の中心部に「春の小川」がどのように復活するか期待込めて見守りたいと思います。

 さて、次の東京オリンピックでは何を隠すべきだと思いますか。いろんな国からお客さんがやって来ます。世界には非常に厳格な国もあります。今の日本、若い女性の生足を隠すべきとも思ったりしますが、対策が不可能ですし、陸上やその他の競技の女性アスリートの異常なまでの露出度に比べればそれも良いことにしましょう。
 何も隠さず飾らずそのままの日本、そのままの東京を見てもらうことが最高の「おもてなし」になるし、大人の対応ではないかと思います。

 

(追伸)

 最近のニュースの大半を占めている小池新東京都知事、記者会見で公約でもある「電線、電柱の地中化の推進」について語っていました。「あ!、東京にはこれがある」と思いました。が同時に「これは隠しようがない!」とも思いました。

 ニュースの解説者がヨーロッパの主要都市では100パーセント地中化されておりアジアでも主要都市(地中化が進んだ都市の事と思われる)でも30〜60パーセント地中化されれていること、それに比べ東京は7パーセントであること。アニメ等で通りに電柱を描けば日本的な町の風景になるとの説明がされていました。

 景観的にも、防災の面からも地中化は必要なのになぜ日本は後れを取ったのかについては、戦後の復興のためにはまず電力の供給の復旧を急ぐ必要があった。そこで将来は地中化することを意識しながらもとりあえず空中に電線を張り巡らすことによって電力供給を回復させた。電力は回復したがいつしかその安上がりな方法が日本の標準となってしまい現在に至っているとの説明でした。

 前のオリンピックのころは、ドブ川が問題でしたが、数十年かけて東京はそれを解決しました。次のオリンピックが間近なこの時期の問題が電柱、電線ということでしょうか、これも数十年かけて取り組むことになるのでしょうか。次の次のオリンピックが日本にやってくる頃には解決しているのでしょうか、小池新都知事の指導力に期待したいと思います。

 

中国は自らの環境問題を解決できるか

  • 2017.06.22 Thursday
  • 16:36

 中国の環境汚染が報道されるようになって久しいですが、改善されているような兆候は見えていません。
 日本にも影響のある大気汚染が強調されがちです。河川や湖の汚染、地下水の汚染も深刻で人々を蝕んでいるようです。(blog-kurage さつませんだいよもすがら)

 日本でも、昭和40年代公害の発生がピークとなり一部死者まで出すほど悲惨な状況がありました。当時の日本にも産業界や政府機関の一部には公害対策に反対し公害病の原因は別にあると言ってはばからない輩がおりました。そういった中にあって行政の動きに先駆けて行動し、地域の環境改善に大きな役割を果たした「人々」や「組織(機関)」がありました。日本を環境改善の方向へ向かわせるきっかけを作った人々や組織(機関)の働きを参考に今日の中国の環境問題の解決の難しさを考えてみたいと思います。日本の一地方で環境問題に携わった者の感じるところを申し述べたいと思います。

 ○市民の活動・・・まず「公害の状況」や「対策の必要性」を命を懸けて社会に訴えた今では語り草になっている活動家たちがいました。 また、公害病の原因物質や原因企業を特定し被害者を救済するために手弁当で調査に当たった弁護士や医師や科学者たちがいました。(活動の自由、表現の自由)

 ○報道機関・・・新聞テレビなどが連日環境の状況、被害の状況、運動の状況、対策の必要性を報道し、国民の環境改善への世論形成に大きく寄与しました。(報道の自由)

 ○地方自治体の対応・・・国の施策や法整備を待つのではなく、地方自治体自ら条例整備や企業と1対1で協定を締結するなど積極的に地域の公害の除去と環境改善に取り組みました。(地方自治)

 ○議会での議論・・・当時は国会、地方議会双方で 連日議論が続きました。特に国会では一つの会期が「公害国会」と言われるほどに集中的に審議され公害防止関連法が次々整備されました。その結果今日に至る公害の防止、環境保全の方向づけがなされました。(議会の存在)
 
 ○裁判所の判断・・・公害問題で提起された裁判で、裁判所がその原因の所在と発生者の責任を認める判断を次々と示し、公害に苦しんできた被害者の救済が図られました。(司法の独立)

 「基本的人権」や、「地方自治」や、「言論の自由」や、「三権分立」は、民主主義社会が基本的に持っている規範や機能です。今日の日本を考えると、これらの民主的な諸制度が備わっていたからこそ紆余曲折を経ながらも社会を環境保全の正しい道へ導くことができたと思っています。 

 これに対し中国に懸念を感ずるのは、これらの組織や機能がなかったり、制限を受けていたり、特定の支配下にあるのではないかということです。日本での環境改善のよりどころとなったこれらの機能がすべてないと言っても過言ではありません。中国社会の環境改善のエンジンは何でしょうか、環境改善ためにアクセルとなる組織や機能があるのでしょうか。中国のそれはかえってブレーキとして働くのではと心配になります。被害者たちが救済されるのではなく社会から孤立していきはしないかと心配になります。

 中国は共産党がすべてをリードする共産党独裁の国です。共産党の指導部が意志を固め、命令すれば一気に改善へ進む、決断の速さ、指導力の強さ、それが中国の強みだ、それだけのパワーが中国にはあると考える人もいるかと思います。

 ところが、中国の大企業は、製造業までもほとんどが国営企業であり、各省庁や地方政府が直接企業を運営しています。その上に国のリーダーたちがいます。日本で例えるなら、閣僚が業界のトップを兼ねているのも同然です。閣僚名簿と経団連役員名簿が一緒といってよいでしょう。企業の大部分が各省庁や地方政府の長や役人の支配下にある中で。その役人たちが自分の利権に関わることを正しく判断できるかはなはだ疑問です。

 中国にもすでに環境部門を担当する官僚機構が出来ていると思います。しかし問題はその機構にいる人たちがどちらを向いて仕事をするかです。使命感に燃え科学的に処理しようとしてもそれを支え後押しする雰囲気が中国社会にあるのでしょうか。「日本で観測されるPM2.5は中国からいっているものばかりではない。」確かにそうですが、そんなこと言っているようでは先が知れています。環境対策の技術は先進国に十分過ぎるほどあります。何故そこはパクらないんでしょうか。
 外国の大使館の測定で大気汚染の深刻な実態が世間に知れ渡るなど論外です。中国の環境改善の最大のブレーキは中国政府指導部と言うことも十分あり得ると考えておかなければなりません。

 さらに、環境対策はコストがかかり、かつ利益を生みません。企業では利益を落としてでも、個人では収入を落としてでも、生活の質を落としてでもという決断がいります。今の中国でそれが出来ますか。
 日本にも影響を与えているPM2.5、環境対策を強く望みたいところですが、日本の事例と比較して考えれば考えるほど大変という思いが大きくなってきます。外国を旅行している富裕層の中国人に言いたい「爆買いしている場合ですか」と。

 中国は時々都合の悪い場合「発展途上国だから」といいます。中国人民は先進国同様に社会の発展に合わせ解決すると思っていると思いますが現状を見る限りそれは甘いと言わざるを得ません。。

 環境問題の本質は自分が所属する社会が引き起こした問題を自分達の意志と責任で解決しなければならないということです。軍隊や武装警察で解決できる問題でもありません。大量に人民を動員すれば解決する問題でもありません。国民の目を国外に向ければ済む問題でもありません。そしてその影響は日々国民自らの生活や健康に直に関わってきます。
 現在の中国にあるもう一つの問題「国民の間の所得の格差の問題」についても、自分たちが招いた問題を自分達の意志と責任で解決しなければならないという点で同じ状況下に有る問題と言えます。富裕層って何なのですか。

 地主と資本家から農民と労働者を開放したはずの社会になぜ資本主義社会よりひどい格差が生じるのですか。

 革命の段階では明らかに目前に敵がおり、それを打ち負かし自分たちの社会を作り上げましたが、現在は自ら招いた敵にどう対処するかが問われています。解決する手段はありますか。革命ですか。

 これらの問題の解決に必要なのは国民全体の願いを社会の意志として正しくくみ取り、社会の動きとして反映させ、施策に結び付ける「民主的自治能力」であり、「民主的総合力」です。反体勢力を説得し従わせる「民主的自治能力」であり「民主的総合力」です。先進国といわれる国々はそれをフルにつかってこの問題を解決してきました。

 中国にそういった機能があるかと言いたいところですが、それ以前に中国の場合権力の中枢が反対勢力であるように見えてしまうのは私だけでしょうか。

 中国の環境が改善されるかどうか、ここまで申し述べてきたとおり結論として悲観的にならざるを得ません。というより改善の要素を見つけることが難しい状況と言っても過言ではありません。「いや、中国にはこんなパワーがある。こんな風に対処することになる。」という意見をお聞きしたいところですが、残念ながら5年後も、10年後も変わらないだろうと思わざるを得ません。

 我々にとっては、今後も影響を受け続けることになりますが、このことを通じ我々の社会の持っている「基本的人権の尊重」や「三権分立」や「法の支配」等民主的諸原理に裏打ちされた偽りでない真の「報道の自由」、「地方自治の存立」、「議会の存在」、「独立した司法」等について、普段は当たり前すぎて感じないその大切さ、重要さを知る良い機会だと思います。
 中国の環境問題はまさに中国から我が国に伝わった言葉 「他山の石」 そのものです。中国の成り行きを注意深く見守っていきましょう。

JUGEMテーマ:中国ニュース

 

夜、森の中の墓地に一人残された話

  • 2017.06.19 Monday
  • 15:03

 就職したての若いころ、真っ暗な森の中で怖い思いをしたお話をします。

   

 就職して2,3か月のころ数人の同僚が職場の先輩の家に招待されました。

 私は同僚のKさんの車に便乗し先輩の家に行くことになりました。当日は小雨がしとしと降る日で、なんでそうなったか記憶にないのですがすっかり日が暮れて暗い中を出発しました。

 

 先輩の家は田舎にあり、Kさんは1回行ったことがあるということで、街を貫け川べりや畑の中をかなりの時間走りT字交差点に差しかかりました。交差点を右に折れしばらく進むと林に入り、林はだんだん深くなってきました。「あれ!間違った、あの交差点を左に行くべきだった、引き返そう」とKさん。山道の広いところでバックでの切り返しが始まりました。

 

 バックが終わる寸前で、ズズズー後輪が山道の土側溝にハマりました。私も降りて押したり引いたりしましたが、土側溝からの脱出は出来ませんでした。二人での脱出は無理と分かった段階で、Kさん「先輩の家は遠くないはず、あの交差点の近くにお店があった、あのお店まで行って先輩の家に電話し助っ人を頼むので、君はここに残ってほしい」とのこと、私も田舎道とは言え車が通ったら困ると思い、気軽に「いいよ」と言って残ることにしました。(当時は携帯電話はありませんでした)

 

 Kさんは車のエンジンを切り、持っていた懐中電灯を点け、来た道を歩いていきました。懐中電灯の明かりが林の中に消えて、しばらくするとだんだん心細くなってきました。人家の明かり一つ見えない漆黒の闇が周りを包んでいました、漆黒と言っても真っ黒ではなく物の形をやっと認識できる位のかすかな明るさが残っていました。

 

 助手席でKさんたちの帰りを待つことにしました。闇の中助手席に座っていると、一人でいる心細さと怖さが手伝って妙に「後ろの座席」が気になりだしました。後ろを振り返ると知らない人がそこにいてこちらを見ているのではないかと思うようになり、その思いはだんだん大きくなっていきました。

 

 「あああ だめだ!」車を降り、ドアの外に立って待つことにしました。小雨は降り続いていました。恐怖心からかどうしても周りを見ようとしてしまいます。土側溝にハマった車の後ろの2メートルぐらい横に何か大きい物があることに気づきました。「大木だ!」その大木の幹伝いに視線を上にやると白っぽく見える所がありました。「なんだろう!」と思いましたが、「猿の腰掛だ!」と勝手に解釈し「気味悪い物があるなー!」と思いました。

 

 視線を落とし大木の横を見ると目の高さに何だか直線に見えるものがあることに気づきました。森の中に直線の物なんてないよなと思いながら更に視線を振ると1メートルぐらい横にまた直線と直角みたいなものが見えました。そこで気づきました。「あ!これは墓石だ!!、わわわ!車の後ろは墓地だ!!」と。

 

 Kさんの後を追いたくても道は見えず、明かりもありません。そこに留まるしか方法はありません。この状況から逃げる手段は全くありませんでした。恐怖心が募る中、私はこの恐怖心に耐えるためにある行動を起こしました。

 

 (この話、数回友人や同僚に話したことがあります。その際ここまでお話ししてきて「私が恐怖心に耐えるためにとった行動とは何でしょうか、何をしたのでしょうか」と問うのですが、一度も正解を答えてくれた人がいません。

 「大きな声で歌を歌った」とか「カーラジオのスイッチを入れた」とか多いですが、違います。自動車の免許を取ったばかりでそれまで教習車しか運転したことがなく、自動車を弄ること特に他人の車を操作することはまだできない状況でした。)

 

 さて、そのような状況の中で恐怖心を克服するために何をしたか、私の行動を説明します。私は土側溝を超え墓地に入っていきました。私は足先で地面を確認し手で前に何もないことを確認しながら墓地の中へ進み、先ほど直線が見えた墓石の近くに到達しました。そして濡れた墓石の頭に右手を置きました。暗闇の墓地の中で墓石の頭に右手を置きじっと立って待つことにしました。

 

 どれだけ時間が経過したのでしょうか、凄く永く感じましたが、林の向こうから人の声が聞こえてきました。そして懐中電灯の明かりがちらほら見え始めました。「よかった!、助かった!」と思い迎えに出ました。

 Kさんと数人の助っ人たちは現場に着くと何事もなかったかのように車の側溝からの脱出作業に取っかかり事は簡単に済みました。そして何事もなかったかのように車に乗り込み先輩の家に向かいました。

 

 「ちくしょう!、墓地に隠れて出てこなければよかった。私がいないとKさんたちに探させればこの話はもっと面白くなった」と後で思いましたが、その時はそんな余裕はありませんでした。

 以上です。

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